掃き溜めの落書き

赴くままの連辞

7月下旬:腹を空かせて行動する

 暑いことを形容するために「暑い」しか出てこない季節。

映画

 映画というコンテンツが苦手です。Netflixで見る時も同じです。チケットを買うタイミングか、またはディスプレイの再生ボタンを押すタイミングで「私はこれからの何分間をしかと映画に捧げます」という契約を求められている気分になります。これまでにこの意見に賛同してくれた人はほとんどいませんが。

 特に見たい映画もない中、映画を見に行くが一緒に来ないかと父親に言われて何も考えずに断ったのですが、今思うと悪いことをしたなと感じます。「人間は自分の本能的な行動を合理化するために脳を使う」とか言いますが、実際映画に対する愚痴を言ったり、もう少し早く言ってくれれば付き合ったのにとか思ったりしているあたり、正しいことを言っているんだと思います。

 父親と共に過ごす時間は私が思っている以上にもう短いのかもしれません。実際にそうであることは後になって気づくんだろうな。

怠惰

 周りに色々誘われると、まず「いきたくない」という感情が出てくるのはいつからなのだろう? 自分が一人で過ごすという行為ではある程度の「心地よさ」が担保されている一方、誘われて向かった先が楽しいかもしれないしあるいは地獄にもなりうるという点で安定を取って「心地よさ」が確定している方を選ぶのかもしれない。それを言葉は怠惰と呼ぶ。

 結局何も行動しない。自己分析したところで、体は安寧を求めて腹を空かす。メタ認知がどうこうと言ったところで、行動するしないの判断をしている時に理性は介入できない。何も変わらない。

 頑張って自分から行動を起こすことが当面の目標、曰くやるやる詐欺の常習犯。



 今回はこの辺で。