小学校ではたくさんのことを習う。右がどっちで、左がどっちか。漢字をどのように書いて、何と読むか。それなりに真面目に先生の話を聞いていたから、常識と呼ばれるものは全部知っているものだと思い込んでいた。ある程度成長して数学をするようになった。数学が好きになった。数学の本を読むと、難しい問題に信じられないほどスマートな解法が書いてあったりする。毎度マジシャンに騙されたような気分になる。
そういうクリーンな証明を「美しい」と言う人間がいる。これがどうにも腑に落ちなかった。もっというと生まれてこの方「美しい」と感じたことがないことに気づいた。もちろん「美しい」という感情が主観的であって、他人から「かくかくしかじかな時にあなたに生じた感情が『美しい』ということです」と教わるものではないことは承知していた。辞書を引いて語義の通り「色・形・音などの調和がとれていて快く感じられる」タイミングを見計らって「美しい」と口走ることもできるが、心から納得していない言葉を使って自分の感情を表現しようとする行為そのものが馬鹿げている。
「美しい」という感情の同定が済んでいる人がどのくらいの割合でいるのかはわからないが、パッとしないまま平然と大学院に入学して、夏になった。地元の花火大会を見に行くことになった。花火大会に限らないと思うが、夜祭の雰囲気は異様な感じがする。地元の花火大会は河川敷の近くにある小さな神社の一帯で催される。普段閑散としている場所に人が集まって、徐々に暗くなる中屋台だけは煌々としている。森見登美彦作品の夜祭のイメージに完全に引っ張られて、暗くなった参道の奥の人気のない屋台で、人ならざるものが胡散臭い格好をして油を売っているのではないかとか思いを膨らませていた。
屋台で買った全く味のしないたこ焼きを食べながら、花火を見ていた。中くらいの花火がたくさん上がるうちに感覚が慣れて、花火ってやっぱり綺麗だなとか、コピー用紙のような薄い感想を量産し始める。暑いとかそういう周りの不快感が徐々に鼻につくようになってくる。時間を確認する。あと何分あるかを計算する。周りを飛んでいる虫が気になり始める。
感動が徐々に減衰しつつあった中、遠くからアナウンスが聞こえる。響きすぎて内容は聞き取れないが、「三尺玉」の言葉が断片的に聞こえた。なるほどこれは見どころだと軽い気持ちで興味を戻す。しばらくして『ツァラトゥストラかく語りき』の序奏が流される。まず大きめの花火がいくつか曲に合わせて打ち上がる。『2001年宇宙の旅』でキューブリックが使ってたよなとか、これはシュトラウスの作曲だとか、そういう愚にもつかないことを思い浮かべながら流れていると、曲は佳境へ徐々に歩を進め、とうとう最後の「ド」の音で三尺玉の特大な一発が打ち上げられた。
三尺の花火の玉は身にまとわせた小さい花火を分裂させつつ上昇していき、打ち上がっていく軌跡の線が消えた少し後に弾けた。金色の光が放射状に勢いよく伸びて、少し後に大轟音が押し寄せる。噴き出した光の線は勢いを失って重力に流されるまま下に垂れ下がっていく。しばらく垂れ下がった後に垂れた穂の先端がパラパラと光る。火薬がパラパラと燃え尽きる音がする。柳の形に綺麗に垂れ下がった光は、やがて夜の闇に呑まれていく。景色が元の夜空に戻ると、花火が弾けた場所に煙が残っているのが見える。見物客の拍手や喋り声が聞こえる。
綺麗とか大きいとか、そういう感情が出てくることがなく、ただただ圧倒されていた。心が震える。泣きそうになる。自分の存在が不安になる。打ち上がってからしばらくは口を開けて弱々しい声を漏らすか、ため息をつくことしかできなかった。この感情は自分がこれまで経験した言葉では言い尽くせない、言おうとすると軽薄で安っぽく成り下がる。そうして、気づくのである。
これが「美しい」ということだ。
自分が認知していなかった感情を強烈に揺さぶられる体験を通して、心の奥底から納得した。「感想云々より前に、心が揺さぶられる感じがする」ことが、少なくとも、「美しい」という言葉に関する、自分が最も腑に落ちる解釈だ。
花火大会は自分の感動をよそにプログラム通りに進んでいく。普通の花火がしばらく打ち上げられ続ける。夜の闇に咲く花の輪を見ながら、自分の解釈を確かめる。前に見た白内障のモネが描いた橋の絵も、美しかったのだ。森見登美彦『恋文の技術』も、萩原朔太郎『さびしい人格』も、美しかったのだ。全て合点がいく。感情に名前がついた感動を噛み締めながら、淡々と打ち上げられる花火を見る。綺麗だ。
花火大会のトリを飾るスターマインは、Superfly『Beautiful』に合わせて打ち上げられた。この曲を前に聞いたときにうっすら目頭が熱くなったことを思い出した。歌の持っているパワーとやらはすげえなあといい加減に考えて自分を納得させていたが、違う。この曲は、タイトルの通り「美しい」のだ。歌詞・歌唱・旋律その全てが調和している。
スターマインは河川敷を明るく照らしながら、一つ一つ散っていく。越智志帆の歌唱を最大限に引き立てるサビの展開と、その後に続く力強いアウトロが花火大会の終わりを予感させる。音質が良いとはいえないスピーカーから流れてくる『Beautiful』は、音質とは無関係に心を揺らしに揺らした。曲が今終わるというタイミングで、二発目の三尺玉が打ち上げられる。打ち上げられる軌跡に撒かれる小さい花火。軌跡が消えて、光が溢れ出す。無音のち大轟音。光の枝が垂れ下がる。散り際にキラキラと輝く。
美しい。
心を思い切りぶん殴られたような、そんな動揺が押し寄せる。見物客が帰路につく音が徐々に耳に入りだしたが、夜空に微かに見える破裂の後から、目が離せなかった。数秒前に見た美しい光景を忘れまいと同じ場所を眺めるが、夜空があるだけである。脳裏に刻まれた金色の花は、何度思い返しても美しい。「美しい」という言葉に強烈に焼き付けられた巨大な光の花の印象が、今も念頭を去らない。
短めに日記のようなものをつけようと思っていたら、思いの外筆が乗ってしまって、大長文になってしまった。それほどの感動だったのだということがわずかにでも伝わったのであれば、光栄である。