掃き溜めの落書き

赴くままの連辞

7月上旬:椅子と植物園への興味

 夏も本番。得た学びについてざっくりと。

椅子

 Spotifyにて配信されている『ゆる哲学ラジオ』#28で、『SPY×FAMILY』の表紙の椅子の話が取り上げられていたことを発端として、俄然椅子というものに興味が出てきました。

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 高校時代に椅子について書かれた評論を読まされたのを思い出しました。当時何もその文章のありがたみが分からず、「椅子に座ることそのものが権力の尊重だった」という歴史的な話と、「椅子に長時間座り続けるということ自体が身体に負担をかける」という物理的な話のつながりを掴み損ねて非常に困惑した覚えがあります。今の興味基盤で再度同じ文章を読んだら得るものがあるかもしれません。

 建築家は建物を(実際に建てるかはさておき)設計するものだと思っていたのですが、どうも設計する対象は建物にとどまらないようです。とはいえ「建築」という概念を色々考えると「ある空間の中に別の空間を作り出す」という行為、くらいになりそうな気がするので、それは建物以外にも家具であるとか椅子であるとかも設計の対象になるのも納得です。また単に好き勝手に設計するのではなくて、ある種の実用性も担保しなければならない(しない派閥もあるだろうけど)という点で、「芸術家」の枠組みからは少し外れるのかも、と思いました。雑に「芸術家」と思い込んでいたことを反省しています。

 世間には椅子の美術館も存在するようで、そのうちどこか行きたいなと思いました。絵画や彫刻と違って座ることができるので、普通の美術館とはまた違った楽しみ方ができるのかもしれません。上級者向けの美術館なのかもしれないけど。上野の国立西洋美術館にはLe CorbusierのLC2があるみたいなので、ポピュラーな美術館を見るついでに座ってみたいと今のところ思っています。

植物園

 季語もわからないまま老いたくないと思い、初めて小石川植物園に行きました。植物園のイメージとして、温室があって南国の植物が多く植えられているというものがあったのですが、小石川植物園においては温室はほんの一部に過ぎず、広大な敷地に多様な植物が植えられていました。信じられないほど暑くて、2時間ほどで撤退しました。冬から春にかけて来るのが結構いいのかなと思いました。

 2時間の中にも収穫は結構ありました。初めてアオダイショウを見たり、エナガを見たり、ニホントカゲの幼体を見たり……蚊が多かったのは結構大変でしたが、普段都会では見れないような生き物を結構見れました。植物の方は、例えば

パイナップル
知識としてはこのように実がなるということを知っていたパイナップルと

キキョウ 花びらの裏にクモの影がある
名前は知っていたけどどんな花なのかを全く知らなかったキキョウなどがあります。キキョウは初秋の季語のようですが(というか秋の七草)、まだまだ秋の気配を感じ取ることができません。

 時期が時期なので咲いている花は少なかったです。青々としているトリカブトとか、アマリリスとかを見て、花が咲いている時にぜひまた来たいと感じました。季節に応じて姿を変えるのが博物館や動物園にはない魅力だと思います。

桔梗

 桔梗の俳句を調べたら、例えば河東碧梧桐

芝青き中に咲き立つ桔梗かな

であるとか、尾崎放哉の

うつむきて、ふくらむ一重桔梗哉

であるとかが出てきました*1。桔梗の花の威風堂々とした感じを知っているとまた味わいが違うように感じます。『日本の歳時記』には、桔梗について

青紫の花びらの先が切ったように五つに分かれ、折り目正しく潔い感じがする。

とあり、俳壇ではこのイメージが共有されているのかと思うと、その格調高さに圧倒されます。俳句素人として、また一つ学びを得たのでした。



 今回はこの辺で。

*1:尾崎放哉が定型的な俳句を詠んでいることにびっくりした。