掃き溜めの落書き

赴くままの連辞

1月下旬:フラット

 見たい映画がある時にその映画のタイトルを検索欄に入れると、どのサービスで視聴できるかという欄より上に必要ない(そしてたまにネタバレを含むことすらある)サジェストが出てくる。これは映画のタイトルに限ったことではないが、「やばい」みたいなサジェストが出てくるたびにうんざりする。情報量が増えない検索ワードをサジェストしないでほしい。

 二次的な情報に印象を操作されることは良くないと長く思っているが、それを完全に遮断する方法がないのがなんとも憎い。世間の評判がいいとか悪いとかそれだけでも印象が変わってしまうし、過剰なキャッチコピーをつける商業広告に唆されて映画を見てもそれが本当に自分の意思なのかわからなくなる。

 作品を鑑賞するときに、その作者に還元したいという気持ちがある。作者が想定した作品を何の偏見も無しに作者の想定通りに鑑賞することもその一環に入ると思っている。しかしそれがそのままの形で我々の目に入ってくる例は稀で、多かれ少なかれ他者による印象操作のノイズが乗って伝わってくる。ノイズを作品の本質だと見誤ってその作品の印象を語っている例があまりに多い気がする。作品の価値を商業的な測量に隷属させるな!