掃き溜めの落書き

赴くままの連辞

どうでもいいことが気になってしまう

 何かを新しく好きになると、当たり前だが新しく知識を得るわけで、これまであまり気にしていなかった違いというものが気になり始める。鳥の種類でも、ギターのメーカーでも、それはいくらでもある。問題なのは全く本質でない情報がノイズになって、本編が頭に入らなくなることである。

 ドラマとかでよくある「教授」的な立ち位置の登場人物の、背景にある黒板に書いてある数式がどういう数式なのかとかが気になり始めると、沼である。たまに高校数学でやるようなことがいっぱい羅列されていることもあるし、一方ある程度ちゃんとしたことが書いてある場合もあって、玉石混交で面白い。その数式ばかり見ている間に大抵はある程度話の概要が説明されるのに、それを聞いていなくてたまに少し困る。

 『名探偵コナン』の新刊(104巻)が出た。チェスの描写が結構多いのだが、その盤面のa1が黒でないことが非常に気がかりである。そもそもチェスボードそのものに大抵マスの番地が書いてあるから、現実問題それ通りにおけば絶対にa1は黒マスになるようにできている。チェスをあまりやらない人がそのことを知らないのは仕方ないと思う。し、気にならない人が大半だとも思うのでこの誤植はほとんど問題がない。

 とはいえ多分チェスを指す人にとっては気になる誤植でもあるはず。大多数の論理としてはむしろこちらが気にしすぎだということになるのだと思う。それで本編を正面から鑑賞できないのは作者にも悪い。でも、モノを好きになるというのは「ここだけは譲れない」ような場所を少しずつ大きくしていくことだとも思う。

 自分の論理を持ちながらも、大衆の論理を否定することもなく、モノを好きになりたいと思いました。